『しのだづま考』応援団


差別事件のあらまし   ニュース   しのだづま考の舞台   『しのだづま考』応援団について  
応援団メンバーからのメッセージ   記録   ご支援・カンパのお願い   連絡先  


応援団メンバーからのメッセージ



『しのだづま考』紀伊國屋ホール公演アフタートーク(2014年2月1日)
司会 趙博 パネリスト ふじたあさや・辛淑玉・鎌田慧・中西和久


鎌田慧(ジャーナリスト・作家)

紀伊國屋ホールで中西さんの『しのだづま考』を観劇した。
一人芝居だが、舞台一杯に駆けめぐる熱演で、わたしは被差別をはね返す熱情に打たれた。
そのこともあって、彼が浴びせられた差別言語に対する憤りを共有するようになった。
 このような才能に恵まれたひとが、演劇界から差別、排除されているのは、 とんでもない理不尽だと思う。それでなにかできることはしよう、と思い立った。


辛淑玉(人材育成コンサルタント)

知らなかったということで許されることはない。
知ろうとしなければ、加害者を放置します。
そして、自分もまた加害者になるのです。
今を生きる人の責任とはなにか。責任を果たせる大人とはなにか。
行動する一歩が、この社会を変えるはずです。


ふじたあさや

『しのだづま考』の原話は説経節である。説経節はもともと寺社の縁起などを語って歩く、中世以来の放浪芸で、物語を作ったのも、伝えたのも、寺社に隷属する被差別の民だった。説経節の最大の魅力は、登場するヒロインたちだ。『しのだづま』の<葛の葉>も『山椒大夫』の安寿も、『をぐり』の照手姫も、凛々しさと言い、いさぎよさと言い、男性顔負けのパワーを発揮する。女性が人間扱いされていなかった時代に、だからこそ、あって欲しい女の姿を、人々は説経節の中に夢見たのだろう。そしてそれは、自身被差別の民であったからこそ成しえたことに違いない。


川向秀武(福岡教育大学名誉教授・前埼玉県部落解放人権確立要求実行委員会会長)

私は、このたびの全国演鑑連幹部による中西和久氏に対する不誠実な対応と開き直りの姿勢に、強い怒りを感じざるをえません。私は、学生時代から部落問題や部落解放教育・人権教育に関心を持ってきました。特に1977年より福岡教育大学に赴任してからは、小中高の教育現場との連携を重視する視点から、誤った部落問題認識を克服し、人権意識を確かなものとするために関係各位の皆さんとともに努力してきました。史実を明らかにするために研究団体である福岡部落史研究会(現・公益社団法人福岡県人権研究所)の会長を11年にわたって務めるなど協力してきました。

A氏が表現された「よつ」という表現は、被差別部落の人々を人間として認めない悪質な賤称語として、当事者を深く傷つけるものであるかを、子どもたちとともに学んできました。演鑑連幹部の皆さんは、こうした事例から学びなおす必要があるのではないでしょうか。  

最後に付け加えておきたいことは、A氏が中西氏とのやり取りの中で、自らを部落出身者を詐称した事実です。このことは、かつて指摘されたように「エセ同和行為」(自己の利益に利用する)に等しいものであり、およそ「民主団体」を誇示する方の行為とは、かけ離れたものであり、恥ずべき行為であることを指摘しておきたいと思います。


『しのだづま考』応援団・神戸 Tさん

私と中西さんとは、狭山事件の再審を願う仲間として知り合いました。中西さんが神戸に立ち寄られたとき、居酒屋で、日本の演劇や文化についてのお話を伺いました。その辺のことについて全くの無知だった私はとても興味深くそのお話を伺いました。私は「日本にルネサンスはあったのか」という質問をしましたが中西さんは言下に「ない」とおっしゃっていましたね。 そのお話の中で、中西さんの演劇は、抑圧されてきたものたちによって生まれてきたブルースとしての文化芸能を自分達の手に取り戻そうとしているとの印象を受けました。

この度、日本の演劇会の中心から、中西さんの芝居に対して「四つの女の話だろう」との発言があったわけですが、歌舞伎にせよ、能や狂言にせよ、それらは河原者とよばれ、差別され、抑圧されてきた人々の発した声をルーツに持っています。その発言は文化の担い手そのものを愚弄するものにほかなりません。

同情は中西さんの求めるところではありません。中西さんの求めるものは今では忘れ去られている文化芸能を生み出してきた人々、さらにはそのルーツとしての名もない民衆の嘆きや悲しみ、怒りや喜びに対する尊敬ではないでしょうか。

「四つの女の話だろう」という言葉は、奇しくも、日本の演劇会が文化芸能の担い手に対する尊敬の念を失い、民衆からかけ離れた存在になってしまっている現状を物語っています。

しのだづた考応援団の取り組みの中から、民衆の生活に深く根差した日本のルネサンスのような文化の復興の芽が育つこと、中西さんが大きな組織からの集中砲火の中で、自分の信念を貫き、「中西さんにしかできない」と評価され、期待されている演劇活動を不屈に続けられることを心から念じております


金城実(彫刻家・沖縄親鸞塾塾長)

『しのだづま考』(作・演出/ふじたあさや)のテーマは「水平社宣言文」と切り離しては考えられない。人間としての尊厳、差別からの解放で、文化、芸術、人権を含んだ作品である。

 差別発言をした演鑑連事務局長はそのことを認識していない。「しのだづま考」の中西さんの生涯をかけた悲しみと怒りの表現の原点は「水平社宣言文」にある。

 沖縄人である私にとっても、その宣言文に世界にも誇りうる文学、宗教、哲学が凝縮されていることに共感する。

 日本の負の歴史から学ぶべきもので、私にとっても彫刻家として、1609年の薩摩の琉球侵攻から今日まで日本に差別されている現実と歴史から学んでいる。

 その水平社宣言文が生まれた時代は、1918年の夏「越中の女一揆」といわれた富山県で起きた米騒動は全国の大都市、鉱山、貧しい市民、労働者へ広がり、社会主義者、キリスト教者などへの弾圧があった時代でもある。

 その事件では死者20数人、重傷者2,000人、起訴700人、死刑2人。1200地域の蜂起に軍隊の出動が92,000人で市民、労働者、自由・社会主義者などを鎮圧した。

 その4年後、1922年3月3日に「水平社宣言」が京都岡崎公会堂にて開催された。こうした時代に被差別部落民が立ち上がったのである。その宣言文は西光万吉らが草案したもので、そこには親鸞聖人の「同朋同行」=能力的思考の放棄で自力を捨てて他力をたのむことによって、男性は女性とまったく対等となる。又「無碍の一道」といって南無阿弥陀仏を念ずる念仏者の行いは妨げるものはありえない。そういう意味で平坦、水平は一直線の道だと説いている。水平は平等を意味している。

 さらに仏教思想、キリスト教思想、ロマンロランやドストエフスキー、ゴーリキーの「どん底」から、その水平社宣言文が構成された。そこには国語辞典にもない。それは「勦」という字で、ゴーリキーの「どん底」の中でサーチンの台詞で「人間は元来、勦(いたわる)べきものではない。尊敬すべきものである」というくだりがあって、この造語は「どん底」の翻訳者・奄美大島出身のロシア文学者・昇曙夢によるものである。西光万吉によって、この字が宣言文の中に2か所用いらている。

宣言  

全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ。長い間虐められて來た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によってなされた吾らの爲の運動が、何等の有難い効果を齎らさなかった事實は、夫等のすべてが吾々によって、又他の人々によって毎に人間を冒涜されてゐた罰であったのだ。そしてこれ等の人間を勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。

兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇迎者であり、實行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が來たのだ。 吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。

水平社は、かくして生れた。 人の世に熱あれ、人間に光りあれ。

                   大正11年3月3日 全国水平社創立大会                        

 中西さんはこうした人権解放の思想を小さな体に秘めて、この日本の現状と闘っているのだ。日本は集団的自衛権、特定秘密保護法、リストラ、労働者いじめ、貧困者切捨て、在日コリアンへのヘイトスピーチ、沖縄県民いじめなどと、戦争のできる国に流転している。今、彼は必至で闘っている巡礼者なのである。