『しのだづま考』応援団


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差別事件のあらまし



差別発言録音



「しのだづま考」上演をめぐって
中西和久(京楽座主宰・俳優)
『テアトロ』2014年6月号に掲載

賤称語

中西「あなたの『四つの女発言』は、私の母に言っているんですか。」

A氏「え、僕も同じですわ。和歌山の大きな同和地域の出身でね、母は水平社運動からやってる。」

中西「ほう、あなたは自分のお母さんに『四つの女』と言うんですか?」

 2012年4月2日、関西のある演劇鑑賞会事務局での会話である。

 「四つ」とは「四足」「畜生」「人間以下の獣」という意味を込めて昔から被差別部落に投げかけられてきた賤称語である。

信太妻

 ひとり芝居「しのだづま考」(作・演出/ふじたあさや)は1989年リバティおおさか(現大阪人権博物館)の企画で生まれた作品で、中世の放浪芸説経節「しのだづま」を現代的社会的視点から再構成した、陰陽師安倍晴明の出生譚である。「葛の葉子別れ」として歌舞伎、文楽、瞽女唄など各地の伝承芸能ともなり一千年にわたって生き続けている物語だ。「なぜ葛の葉は、最愛の夫と別れ、子に別れ信太の森に帰っていったのか…」現代の部落差別を問う舞台ともなっている。俳優としての私の仕事の一つである。

 全国演劇鑑賞団体連絡会(以下、全国演鑑連)は、北海道から鹿児島まで全国約150の町々に事務局を置く16万人を擁する会員制の組織で、創立以来50年を超える。

かたり

 一昨年(2012年)、同作品が近畿の演劇鑑賞会2か所で上演された。私はその地元の事務局長から「Aさんがやりたがっている。行ってみたら」との報を受け、観劇に訪れた彼に御礼の挨拶も兼ね事務局を訪ねた。しかし、あれほどの差別発言をした人がなぜ?認識が変わったのか?淡い期待を胸に私は彼と対した。

 十数年前、「しのだづま考」の営業で私がその事務局を訪ねた折「ああ、四つの女の話やろう?」と発言したのはA氏であり、傍らにはその発言を非難するでもなく、ただ黙って聞いている十数人の演鑑役員の人々が控えていた。私は「いやー、そういう人に見ていただきたくてこの芝居は作ったんです。」と応えるのが精一杯だった。「しのだ」の被差別部落は、この事務局から目と鼻の先にある。

 さて、この文章冒頭の会話の中で、私は彼が「出身者」ということには若干の疑問を感じつつ「あなたは部落出身者なのでね?」と念を押した。なぜなら出身者がカムフラージュするためにワザと大仰に差別発言をすることもままあるからである。が、やがて彼が「出身」を騙っていた事実が判明した。幼少期から彼を育てたのが被差別部落の女性であったという。  

「民主主義」と「差別」

 2012年7月20日私は全国演鑑連<主催:公益社団法人日本劇団協議会(以下、劇団協)&日本新劇製作者協会>のシンポジウムの席上で、この差別発言を提起した。なぜなら、彼の発言は演鑑連の活動の中で、しかも多くの役員も参加する中で発せられた言葉である。私は「演鑑連の理念『日本演劇の民主的発展』と『四つの女の話やろう?』発言がどのような整合性を持つのかお答えいただきたい」と質問した。各地の演鑑連事務局長や役員、劇団関係者など300人程が参加していた。しかし、回答はなかった。が、この席上で発言の当事者A氏は立ちあがり「確かに言った」と応えている。反省の言葉も自己批判もなかった。

 その後、私は各地の演鑑連事務局を訪れ、この差別発言に対する組織内での真摯な論議を訴えてまわった。しかし、私の問いかけに対して何カ月たっても全国演鑑連からの回答はなかった。「日本演劇の民主的発展」を理念とする演鑑連の運動に私は「夢」を託して演じてきた。だから、2013年5月3日、千駄ヶ谷の日本青年館で開催された全国演劇鑑賞会研究集会でも私は、同じ質問をした。が、そこに出席していたA氏は前言を翻し「私はそのような表現はしていません。」と開き直り、満座の中で中西が部落出身者であることを披歴するにいたった。

 「被差別」をテーマとしていくつかの演目を上演しているので、アンケートや電話などで差別的な言葉を投げかけられることは珍しくない。多くは匿名である。しかし同じ会場で、ある大手劇団の制作者は「中西さんは、こういうことをたびたび発言しているが、聞く方の身にもなってください。たまらんですよ。全国でAさんほど尊敬する人はいません」と言ってはばからない。また全国演鑑連代表高橋武比古氏の集会のまとめは「中西さんの発言はこの会議に対する侮辱だと思います。」であった。

傍観者は加害者

 2013年6月17日、劇団協理事選挙において、私は全国演鑑連代表の高橋氏が理事候補となっていたので、これに疑義を提した。人権侵害を容認する人物が、劇団協を牽引していく理事にはふさわしくないと考えたからである。私はこの差別発言事件の経緯を記した文書を、議長の要請もあり出席した全劇団に配布してもらった。しかし、劇団協の中で全国演鑑連との窓口を担う委員会のO氏は「(この文書は)中西さんの一方的な言い分であって、演鑑連への二重の侮辱。」また他劇団からも「(中西の提起しているような)発言はなかった」「話し合いよりも議決しちゃったらどう?」等と総会参加劇団の多くが私の告発を無視、あるいは不当なものとして排斥した。さらに高橋氏は「侮辱発言」はいささか感情的だったと言いつつも、その言葉を取り消してはいない。また、「(A氏は四つの女とは)一言も言っていない。」と断言した。かくて高橋氏は50劇団中43票を得て理事に選任された。あれほどの公の席でしかもA氏自らが「発言」を認めたにもかかわらず、理事や役員クラスの劇団関係者がまるで示し合わせたかのように「発言」の記憶がなくなっているのには驚いた、と同時に気の毒にもなった。

 ともあれ私には「うそつき」の烙印が押されてしまった。差別を告発することは命がけである。「泣き寝入り」をすればこれほどの攻撃はなかったかもしれないが、告発をした途端に方々から非難の矢が飛んでくる。これは「イジメの構造」と同じだ。差別を傍観している事は、差別に加担している事である。傍観者は加害者であることを忘れてはいけない。

公開討論会

 その後、私はこの事件について劇団協会長であり文学座演出家の西川信廣氏と公開質問状でやり取りをした。やがて氏は劇団協を代表して、件の発言が「差別」であり、全国演鑑連代表の高橋氏に対しては、中西に「真摯に答える必要がある」「わたしたち演劇をやるものは、たとえ見解が違っても、また激しい議論になったとしても、向かい合って直接自分の言葉で語り合うことが必要」との認識を示した。この4月13日、西川氏の呼びかけで「劇団協」「演鑑連」「応援団」三者による公開討論会のための打ち合わせがもたれたが、高橋氏は「演鑑連はあらゆる差別に反対している団体」であり「(差別)発言はなかった」と主張してこの提案を拒否した。演劇界にも部落出身者はいる。このような差別がまかり通れば「出身者」は泣き寝入りをするしかなくなる。「討論会」が実現していればA氏が「育ての母」について何を語るのか、私は聞いてみたかった。

 なお「応援団」とは昨秋永六輔氏を団長に結成された「しのだづま考」応援団である。呼びかけ人に鎌田慧、辛淑玉、金城実、大谷昭宏、ふじたあさや、中山千夏、角敏秀の各氏。詳細はFecebook「しのだづま考」応援団まで。昨年の劇団協総会で証拠としては採用されなかった差別発言の録音もアップされている。